サイズ:30.5cm
素材:陶磁器
※モニターの発色の具合によって実際のものと色が異なる場合があります。

「翡翠」はカワセミとも読むが 古代日本では玉は「たま」、カワセミは「しょうびん」と呼ばれていて、同じ名前の記録はなく 「翡翠」の語は比較的最近に 中国から輸入されたと推察できる。

本金は 古色が付きます。風格がある 古色は捨て難いのですが 軽く磨けば 元の金ピカになります。
お店で ベッキオジェンマを 見たお客さんが言われます。
美しいですね。
私は お答えします。
二代目 ジノリ侯のお眼にかない 二百数十年行き続けた 美術品です。それにしても この繊細な 手描きの翡翠ラインの器を見て 美しいと言われる 貴方のお眼眼は 時空を超えて 侯のお眼眼と 一体です。
貴方の眼に キラリと光る 未だ知らぬ一品 いわれを聞けば 納得の逸品 古の栄華の人との 美の追求と共有 喜びは やがて秘かな誇りへと 歴史は 今貴方と駆ける。


イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。兄弟は マイセンから ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯を経た アルカニストを名乗るフンガーの売り込みを 信じて受け入れました。
フンガーは マイセンのカオリンを まんまとせしめ 初めて磁器焼成に成功しました。 (彼は 以後 報奨金を求めて 転々とするのですが カオリンに恵まれず 一度も成功しておりません。
ロイヤルコペンハーゲンへも 売込みをかけましたが いかがわしい噂のある男として 受け入れられませんでした。 流れ流れてロシア・ペテルブルグで エリザベータ女帝に 1744年 王立窯を 開かせました。ここでも カオリンに恵まれず 4年で追放されました。 フンガーが 唯一 成功したヴェッツィ窯も マイセンのカオリンを止められて 10年を経たずして 廃窯しております。 次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。
侯は ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯からヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。
当初 灰色味がかっていた白磁も 1790年ごろからリモージュのカオリンを 用いることで 完璧な白磁を完成させております。
1834年には スペイン王カルロ3世の カポデモンテ窯の 閉窯に際し モールド類を引き取り 以後 ジノリが カポデモンテを引き継いでおります。 (カポディモンティ窯とジノリについては ジノリ社の主張に 俄かに信じ難きことあり もっと検証後に) 1869年には リチャード社を 合併して 今の リチャードジノリ社になりました。 特筆されることは 1920年頃 アート・ディレクターに ジオ・ポンティを招聘して 新しい 芸術性豊な 作品群を ものにして 名声を高めたことです。










アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが お熟成アインのは ピカピカの 新品です。

引出物ギフトに 最適

ベッキオシェープ

ジェンマ(翡翠) 手描き

ドッチア窯の 金ロゴ(ジノリの 誇りの金印)

有るのが 不思議な手工芸・廃盤品
手描きのコストアップから 少シリーズ化 少制作化の波は この銘作中の銘作をおなじ手描のグレースより さらに繊細で 手間がかかるため 早くに制作中止に追い込まれました。
シンプルなようですが 翡翠色のスッキリ細いライン リムの3本ものゴールドラインは 端然として 美しく 見る人に 感銘を与得ずにはおきません。
百聞は 一見に 如かず。ぜひ ご覧になってください。





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